男はポケットから鍵を取り出すと鍵穴に差し込んだ。
錠が動いてガチャリという硬質な音が響く。
男にとってその音は、朝、自分が外に出て誰もこの部屋を出入りしていないと保証してくれる、ガードマンの報告みたいなものだった。
「うわ、蒸し暑いね」
男の後ろにいた女が、開けたドアの隙間から部屋に侵入しようとした。
男は玄関に自分の靴以外なにも置かれていないことを確認してから女を中に入れた。
「適当にくつろいで」
男は女を部屋の中に入れるとリビングにあるソファーへ案内した。
女に自由に動かれるのはあまり好ましくない。
部屋を慌てて片付けた痕跡が、ありとあらゆる場所に潜んでいるからだ。
例えば部屋の隅にあるクローゼット、注意して開けなければ無理やり押し込んだ物体が雪崩を起こすだろう。
「ねえ、エアコンつけようよ」
「ごめん。エアコン壊れてるんだ」
「えっ」
女は操作していたスマートフォンから顔を上げると、眉をひそめ嘘でしょ、と目で訴えかけてきた。
「それが本当なんだ」
男はリモコンのボタンを押した。
エアコンは電源ランプを点灯させたあと、まったく動かず沈黙したままだった。
「ね」
「本当だ」
「業者に連絡したらさ、今繁忙期で修理できるのは一か月先なんだって」
「扇風機はないの?」
「買おうかと思ったんだけど、色々種類が多くて選ぶの面倒でさ」
「なにその理由」
「大丈夫大丈夫、涼しくなる方法なんていくらでもあるよ。例えば怪談とかね。試してみようか? ある日、初対面の男の部屋を訪れた女がいた。その女は」
「やめて。怖い話苦手なんだから」
女が帰ろうとしたので、男は謝り女をソファーへ座らせた。
男はどうしても、女を帰したくはなかった。
「じゃあとっておきの方法をやろう。ちょっと失礼」
そういうと男は女の隣に腰を掛けた。
女は少し驚いたようだったが、嫌がってはいないようだった。
男は女を怖がらせないように、ゆっくりと肩を抱き優しく自分の方へ引き寄せた。
「古代エジプトはとても暑くてね、気温よりも人肌のほうが涼しかったんだ。だから大金持ちは奴隷の女を買ってきて、抱き枕として扱っていたみたいだよ。つまり、今日みたいに暑い日は1人で寝るよりも、2人で寝る方が涼しいってことさ。どう、暑い?」
「ううん。思ってたよりも暑くない」
女は男の首に両腕を絡ませると、甘い声で話しかけてきた。
「でも、2人で動き続けてたら、暑くなっちゃうかも」
下から媚びるように声を上げる女を見て、男はもう大丈夫だと判断した。
「そう。だから水分補給は大事なんだ。ちょっと待ってて。冷たい飲み物を持ってくるから」
「ビールはある?」
台所へ向かう男の背後から女の声が聞こえる。
「アルコールはやめた方がいい。血流がよくなって、体温が上がるからね」
女のためではなく、自分のためにそう返事した。
男は冷蔵庫の横にある流しを見て青ざめた。
昨晩、部屋に誘った別の女の使用したグラスが、洗われずに置かれていた。
ご丁寧に紅い口紅付きで。
「危ないところだった」
男は女に気づかれないよう蛇口をひねりグラスを洗い始めた。
女のいた痕跡はすべて消したつもりだったが、慌てていたせいか思いのほか残っていた。
初め玄関にすぐ女を入れなかったのも、昨晩の女の痕跡が残っていないか、確認するためだった。
隠し損ねた痕跡は他にあるかもしれない。
女にバレるだろうか、そう思うと男は気が気ではなかった。
「ねえちょっと」
リビングから女の呼ぶ声が聞こえた。
「これ、なんなの。ベッドの下に落ちてたんだけど」
慌てて駆けつけてみると、女は何かを掴んでいた。
よく見なくても分かる。
それは昨晩、男の部屋を訪れた女が、持ち歩いていた鞄だ。
「よかった、見つけてくれたのか」
早口で言い訳しそうになる自分を抑えて、男はゆっくりと話し始めた。
こういうとき、下手に言い訳しても良い結果になる確率は少ない。
ならば意表を突く形で、全く相手の想像していない方向へ、話を逸らせばいいのだ。
「ありがとう。ずっと探していたんだよ」
「どういうこと?」
「実はこれさ、前に部屋に来た女の忘れ物なんだ。部屋に鞄を忘れたから取りに行くってしつこかったんだ。そんな鞄ないって言うと探させろって言うし、これで女に鞄を返すことができるよ。ありがとう」
「本当?」
「本当本当」
あくまでも男は女に興味がなく、女から言い寄られている感じを演出した。
ああ、面倒だなと思いつつ、あとはもうこの嘘を突き通すしかない。
「……分かった。信じてあげる」
男の軽薄な態度で怒気が薄まったのか、女はため息をつくと男に鞄を渡した。
「声出してると汗かいたから、先にシャワー浴びてくるね」
一度気持ちをリセットさせたいと思ったのか、女は男から距離を取るようにシャワー室へと向かった。
「それはいい。体をきれいにするのはとても大事なことだからね」
男の言葉を聞いて女は怪訝そうに顔をしかめたが、結局一言も発しないまま風呂場へと向かった。
男は女から受け取った鞄を雪崩を起こさないよう注意しながらクローゼットへしまうと、台所へ戻り飲み物作りを再開させた。
1人分の飲み物を作り終え、リビングにあるテーブルに運んだときだった。
「ねえ! ちょっと!」
風呂場から、再び女の男を呼ぶ声が聞こえた。
「ああ、面倒だ」
男は心の声を漏らすとシャワー室へと向かった。
「ねえ! なにあれ!」
風呂場にたどりつくと、裸になった女が洗面所で腰をついていた。
浴室と洗面所の境にある扉が開かれていて、シャワーが放水されたままだった。
いったい誰が掃除すると思っているんだ。
そう考えると、男の頭はカッと熱くなった。
「どうした」
「あ、……あれ」
震えた女の指先を見てみると、その先には浴槽があり、めくれた風呂カバーの下には、昨晩殺した女の死体が水で中に浮かんでいた。
「ああ、忘れていた」
男は自分の物忘れのひどさに落胆した。
玄関にあった靴はちゃんと隠しておいたけれど、ベッドの下の鞄、流しにあったグラス、そして浴槽で冷やしていた死体。
我ながら隠蔽が雑過ぎる。
「まあ失敗はしょうがない。今度から気を付けよう」
気を取り直すと、男は次の作業に取り掛かることにした。
目の前で腰を抜かしている女の首に手を回すと、ゆっくりと力を込め始めた。
「あれはな、昨晩使用した抱き枕だ」
男は女に話しかけながら指先に神経を集中する。
柔らかい肉の筋、控えめに膨らんでいる血管、そして、堅くて細い首の骨。
「エアコンが壊れても業者は忙しくて修理に来れない。扇風機は種類が多くて選ぶのが面倒くさい。だったら、女に声をかけて連れ込むしかないじゃないか。浴槽で浮かんでいるあれは、今日、君が捕まらなかったときのためにとっておいたんだ」
昨晩のあれを使用するとなると、タオルで水分を拭き取らなければならない。
余計な手間が省けてよかったと男は思った。
「ありがとう。君が来てくれたおかげで、面倒なことをしなくてすんだよ」
男はそう告げると、手のひらをぎゅっと握りこんだ。
骨と骨の間にある隙間からごきんという気味の良い音が聞こえ、女の体は動かなくなった。
まだ、女の肌からは生きていたときの余熱を感じるが、男が寝る準備を終えるころにはほど良く冷えているだろう。
抱き枕を作り終えた男は、リビングに戻り冷たい飲み物を飲み干した。
男はエアコンが直るまで、抱く枕を作り続けるつもりでいた。
男にとってその行為は、猫が太陽を避けるため日陰を探すように、暑さを和らげるための自然な行いだった。
「業者が来るまであと一か月か。ああ、面倒だ」