『ベシャメルソース』

結婚するとき、母に夫婦円満の秘訣を聞いた。
昔から、母と父のような関係に憧れていたからだ。

「うーんそうだね。できるだけベシャメルソースを作らないことかな」

母の回答は私が想定していたものと全く違うものだった。

私は母の作るベシャメルソースが大好きだった。
幼いころ、偏食が激しくて野菜をほとんど食べない私が、唯一大人しく野菜を食べられる方法が、母の作ったベシャメルソースで野菜を味付けすることだった。
母のベシャメルソースさえあれば、ニンジンでもブロッコリーでも、美味しく食べることができた。
私にとって母の味とは、お味噌汁でも厚焼き玉子でもなく、母が時間をかけて作ってくれたベシャメルソースだった。

だから結婚が決まったとき、母にベシャメルソースの作り方を教えてもらった。
愛する夫や将来生まれてくる我が子に、私の大好きだった味を知ってもらいたいと思ったからだ。

それなのになぜ、母は私にベシャメルソースを作ることを控えろと言うのか。

「あっ。ひょっとしてお父さんがベシャメルソース嫌いなのと関係あるのかな?」

父は、ベシャメルソースが出てくると不機嫌になることが多かった。
私が母にベシャメルソースをねだる、母が私のわがままを聞いてくれる、父の機嫌が悪くなる。
それの繰り返しで、一時期我が家は不穏な空気が流れていた。

「……ふふっ」

母はしばらく押し黙ったあと、顔を背けて少し照れたように笑った。
目じりに深いしわが刻まれていて肌に瑞々しさはなかったが、その笑顔はとても可愛らしくて、魅力的に見えた。

「アンタ、男心が分かってないね。そんなんでよく結婚できたものだよ」

母は問題児の扱いに手を焼く先生のような顔をした。

私は母の言いつけを守らなかった。
夫との新しい生活が始まると早速ベシャメルソースを作った。

鍋にバターを引き、溶けて良い香りが漂ってくると小麦粉を適量入れる。
ヘラでじっくりとかき混ぜダマにならないよう注意しながら熱を加えていく。
このとき需要なのは焦らないことだ。
急いて乱暴にかき混ぜると、完成後に滑らかさが損なわれてしまう。
白く変色してくるとあらかじめ温めておいた牛乳を数回に分けて加えていく。
美味しくなあれ美味しくなあれ、そう念じながら食べてもらう人の顔を思い浮かべるのだ、と母は言っていた。
そうすることで、味が全然変わるらしい。
何回も何十回もヘラを回してかき混ぜ、ツヤと粘り気が出てきたら出来上がり。
長い時間をかけて絶対に妥協しないこと、これが母直伝のベシャメルソースの作り方だった。

初めて夫にベシャメルソースを食べてもらったとき、夫は感動のあまり立ち上がった。
どうだ、これが母直伝の味だ。
私は胸を張って、夫からの称賛を受けた。

夫の喜ぶ顔を忘れられなかった私は、休日のたびにベシャメルソースを作った。
すると、それまで味を誉めてくれていた夫は、ある日を境に、ベシャメルソースが食卓に出ると不機嫌な顔をするようになった。

いったいどうして?
理由が分からなかった。
味は落ちていなかったし、食事が終われば夫の機嫌は良くなる。

ひょっとしてベシャメルソースに原因があるのでは、と考えた私は、結婚前に受けた助言を思い出し母に相談してみた。

「あんたは一つ勘違いしているよ。父さんはベシャメルソースのことが嫌いじゃないからね。むしろ好きなんだから」

開口一番、母はそう言った。
ならばなぜ、昔父はベシャメルソースが食卓に出てくると不機嫌になっていたのか。
そう聞くと母は次のように答えた。

「どうせアンタ、ベシャメルソースを作るときあたしの言い付けを守って長い時間かけて作ってたんだろ? いや、それはいいんだよ正解。でもね、原因もそこなんだよ。だってアンタ、考えてごらんよ。たまの休日、好きな人とイチャイチャしたいのに相手はずっと鍋の前でヘラをかき混ぜている。しかもそれがしょっちゅうときたもんだ。旦那からしたらあんまり面白くないだろうね。まだ新婚なんだし恋人っぽいこともしたいだろうさ。えっ? 不満があるなら言えばいいじゃないかって? だから、それが男心を分かってないの。男はそういう考えをすること自体恥ずかしいと考える生き物だからね。男の雰囲気をこちらが汲んで、気づかないふりしつつ相手をしてあげなくちゃいけないもんなんだよ。要は、旦那は寂しがってたってわけ。アンタが相手すりゃ解決する問題だったんだよ。それで……もうここまで言えば分かるよね、昔お父さんが不機嫌になってた理由。もう! こんな話、親にさせるんじゃないよ!」

そう言うと、母は顔を赤く染めて目を背けた。

「そんな話分かるかっ!」

そう叫びつつも、やはり母と父のような関係になりたいな、と考える私だった。

投稿者: ちくわさん(三日坊主)

ちくわとして生を受け幾星霜。 そろそろ練り物でいることにも飽きたので別のモノに生まれ変わりたいです。

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