「ここは?」
気が付くと、見覚えのない場所に立っていた。
周囲には何も見当たらず、上を見れば限りのない青空が広がっている。
地面には白いモヤが立ち込めていて、硬いような柔らかいような不思議な感触が足の裏から伝わってきた。
場所を特定するような目印は皆無で、見渡す限りなにもない。
今立っている空間がどれくらい広いのか、全く想像がつかなかった。
同じ場所にいてもしょうがないと思ったので、当てもなく歩き始めた。
一歩二歩と進み、自分の足取りの軽さに驚く。
不思議な感触の地面のおかげか、足腰にかかる負担が全くない。
歳のせいで足や膝が思うように動かなくなっていたが、これならばいくらでも歩いていられるような気がした。
どれくらい時間が経っただろうか。
かなりの距離を歩いた。
依然景色に変化はなく、歩き続けることしかできなかった。
自分がどこにいて、このあと家に帰れるのかどうか分からなかったが、心は落ち着いていてとても穏やかだった。
誰もいない夜の街を独り占めして歩いているような、妙な高揚感を覚えた。
「久しぶり」
突然、後ろから声をかけられた。
振り返ってみると、そこには古い知り合いである田辺が立っていた。
「お前もこっちに来たのか」
田辺は再会を楽しんでいるような口ぶりだった。
癖のある白髪、目元に浮かぶ深い皺。
全てが、最後に会ったときのままだ。
「もう二度と会うことはないと思っていたよ」
私は少し迷ってから、正直な気持ちを口にした。
「だろうな」
田辺はそう言うとにやりと笑って黙り込んだ。
余計な主張ばかり繰り返す、田辺らしくない。
田辺は昔から、私に対して一言多い男だった。
「なにか、謝ることはないのか」
二人して黙っていると、先に口を開けたのは田辺だった。
早く話を進めたいのか、それとも単純に黙っていることが苦手なのか。
おそらく後者だろう。
「私が間違っていた、すまない」
私は自分の過ちを認め、頭を下げた。
私たちが顔を合わせて会話していること自体が、私の間違いを証明していたからだ。
「分かればいいんだ」
田辺は腕組みをし、満足そうにゆっくりと頷いた。
「間違いは誰にでもあるさ。この経験を今後の人生で活かしてくれ」
「今後の人生?」
私は謝罪するために下げた頭を元の位置に戻した。
今の田辺の発言はおかしい。
きっと安易に偉ぶろうとして、軽率な失言してしまったのだろう。
私は、そのミスをすかさず指摘することにした。
「今の発言はおかしい。私はこの経験を活かせないはずだ。だって」
田辺を正面から見据えてこう言った。
「亡くなったはずの田辺と対面しているということは、私も死んでしまったということだ。死んでしまったのだから、この経験を人生に活かすことはできない」
「ちっ、そんなことは言われなくても分かってる」
面倒な奴だな、という不快感を田辺は隠そうとしなかった。
私と田辺は、幼いころから友人同士だった。
私たちは大人になると互いに学者になり、田辺は伝承や文化を研究する民俗学で、私はロボットに関係する情報科学で、それぞれ高い評価を受けた。
私たちは専門分野が違っていたが、二人で会うとき、よく議論をした。
議論の内容は、「日本が有人宇宙船を月面に送ったときのメリットデメリット」というものから、「枝豆がなかったときのビールに合うつまみについて」など、非常に多岐に渡った。
そして、最後に会ったとき私たちが話した議題が、「死後の世界の有無について」だった。
私は死後の世界を否定し、田辺は肯定した。
二人の主張は平行線を辿り、結論が出る前に、田辺は病気で死んでしまった。
私はついさっきまで死後の世界なんてないと考えていたが、田辺と会ったことで、考えを改めなければならなくなった。
「そんなに落ち込むな。まあ、自分が死んでしまってショックなのは分かるが」
「ショックなど受けていない。少し、考え事をしていただけだ」
死後の世界についての議論で、私は間違えていて、田辺は合っていた。
今後、田辺は私に対して優位に立とうとするだろう。
そのことを思うと憂鬱になってきた。
「そんな顔するな。久しぶりに会えたんだ、今日はとことん語り合おう」
「……そうだな」
悩みのタネである田辺が嬉しそうに笑っていたので、先のことなどどうでもよくなって、私もつられて笑ってしまった。