「あっ」
声を出してまず思ったことは、失敗したという後悔の念。
そして次に思ったことは、生まれてからずっと悩まされている、自分の厄介な体質についてだった。
日曜日、私は近くに住むお祖母ちゃんの家へ向かっていた。
母の命令で一人暮らしをしているお祖母ちゃんの様子を伺いに行ったのだ。
途中、商店街を横切ろうとしたときアーケードの真ん中で、このご時世にあり得ない光景を見かけた。
行きかう人々の影に見たものは、唐草模様のほっかむりをかぶった全身真っ黒な服の泥棒だった。
私のお祖父ちゃんやお祖母ちゃん世代の人が想像する昔ながらの泥棒姿に、私は思わず声を出して反応してしまったのだ。
「お前」
声を出してしまった私に、泥棒は話しかけてきた。
「ちょうどよかった。誰かに手伝ってもらいたいと思ってたんだ」
厄介事に巻き込まれるのはいやだ、と考えた私は他の通行人たちと同じようにその泥棒のことを無視することにした。
当たり前だ、こんな恥ずかしい恰好をした人と関わりたくない。
怪しい存在は相手にしない、それが現代人の処世術だ。
しかし、かなり距離が離れていたにも関わらず、その泥棒は人波で溢れた商店街をあっという間に駆け抜けてきた。
「待て。話聞けって」
「分かった、分かりました。聞くからこっちに来てください」
こんな恰好をした泥棒と話しているところを人に見られたくない。
そう考えた私は渋々近くの神社へ移動した。
周囲に人がいないことを確認してから泥棒に話しかける。
「話ってなんですか?」
「ある家に忍び込むのを手伝ってほしいんだ」
ああ、やっぱり気づかないフリをしておけばよかった。
話を聞く前から、私は自分の迂闊さを呪い始めた。
話を聞いてみると、泥棒はなにか物を盗みたいわけではないらしい。
民家へ忍び込み、とある人物に一目会いたいだけなのだそうだ。
「こんな恰好なのに泥棒じゃないんですね」
「この格好は目立たないための変装だからな」
いや、現代だとその恰好は逆に目立つんですけれど、という言葉をなんとか飲み込んだ。
「でもそれって不法侵入ですよね。忍び込みたいんなら勝手にやってください。私に手伝えることがありません」
「確かにな。忍び込むだけなら俺一人で問題ない。ただ、どうしても人の手を借りなくちゃいけないことがあるんだ」
どういうことかと思い泥棒に話を促してみると、泥棒の会いたい人物とは女性でとっくに結婚しているのだという。
泥棒は今さら女性との関係を進展させるつもりはないのだが、どうしても最後に一目会い、自分の思いを伝えたいのだそうだ。
「余計なお節介を承知で言いますけど、そういうのは会わずにおいた方がいいと思います」
女性と会うと泥棒はきっと後悔することになる。
そう思ったので泥棒に助言した。
「そうかもな。でも、会わなくちゃ前に進めないんだ」
泥棒にそう言われると私は返す言葉がなかった。
「でも、どうやって思いを伝えるんですか?」
「贈り物だ」
泥棒は女性が結婚する前、好きな花を贈ると約束していたそうだ。
「花を見てくれれば、彼女はきっと俺の存在に気づいてくれる」
泥棒は自信満々に呟いた。
果たして本当にそうだろうか、泥棒の話を聞いていて私は不安になった。
泥棒の話を聞いているとポケットに入れておいた携帯電話が震えた。
「あっ、ちょっとすみません」
ディスプレイを見てみると友達の京子からの電話だった。
「吉野、今ヒマ?」
「ヒマじゃない。実は」
私は京子に一通り事情を説明した。
京子は大きな声で笑ったあと呆れながら忠告してきた。
「ったく。アンタはもっと自分の厄介な体質を自覚した方がいいよ。立派なトラブルメーカーなんだからね」
「分かってるけど……。ねえ、どうしたらいいと思う?」
「その泥棒の手伝いをするしかないんじゃないかな? もし吉野の手に余るようなら連絡ちょうだい。そんときは私も手伝う」
「うん。ありがと」
友情に感謝しつつ電話を切った。
「なにやってんだお前?」
泥棒は頭のおかしな人でも見るように私のことを見ていた。
こんな恰好をしている人にそんな目で見られるなんて、納得できず私はもやもやした気持ちになった。
その後も泥棒から詳しい話を聞いた。
初めは絶望的な難易度だと思っていたが、泥棒の話を聞いているうちになんとかなりそうだという気持ちになってきた。
その日の深夜、私は泥棒とある屋敷の前に集まっていた。
「なんだその服は」
私は学校指定のジャージに身を包んでいた。
動きやすい恰好を選んだだけなのだが、学校の外でジャージを着るのは思いのほか恥ずかしい。
隣に立っている泥棒と比べればはるかにマシなのに、なんだこの羞恥は。
「よしそれじゃ行くか。おい桜」
「はい?」
「はい、じゃねえよ。桜はどうした? 彼女の好きな花はお前が用意してくれるはずだろ」
「ああ、はいはい」
私は音を立てないよう注意して屋敷に入ると、敷地内にある立派な桜の木から一本枝を折った。
指揮棒くらいの大きさの枝には、きれいな桜の花がいくつかついている。
「おい、彼女の家のもの壊すなよ」
「桜の花って意外と手に入りづらいんですよ、家の人にはあとで謝っておきます」
「そうか……」
泥棒は納得していないようだったが、今はそれどころではないと判断し私の先を歩き始めた。
「おいこれだ」
先を歩いていた泥棒は庭の隅に置いてある植木鉢を指さした。
鉢をどかしてみるとそこには鍵があった。
「勝手口の鍵だ。これで中に入れるぞ」
私は鍵を摘まむと勝手口まで運び、静かに鍵穴に差し込んだ。
かちん、という錠の動く音が響いたとき肝を冷やしたが、幸いにも屋敷に明かりが灯ることはなかった。
「なにしてる。早くこい」
月明りも届かない真っ暗な室内を、泥棒は音もたてず進んでいく。
まるで暗闇と同化してしまったみたいで、私はあとを追いかけるのに苦労した。
「ここだな」
目的の部屋に辿り着くと泥棒は少し息を荒くしていた。
疲れているはずはない、おそらく緊張しているのだろう。
「じゃあ開けますね」
私は戸に手をかけた。
その戸は襖だったので金属音に怯える必要はなかったが、木と木の擦れる摩擦音がほんの少しだけした。
寝室では女性が一人横になっていた。
静かに上下する布団は一定のリズムを刻んでいて、まるで赤ん坊のように安らかな寝息をたてている。
カーテンとカーテンの隙間から月明かりが洩れ、幸せそうに眠っている彼女の寝顔を照らした。
「どうです? 見ない方がよかったですか?」
私は、彼女の顔を凝視する泥棒に恐る恐る尋ねた。
「いや、嬉しいよ。さすが俺の好きな人だ。こんな年になっても美しい」
泥棒は、年老いてしわくちゃになった私のお祖母ちゃんを見て、優しそうに微笑んだ。
「おい」
「あっ、そうか」
数十年ぶりの二人の再開の場に居合わせることができた私は、なんだかとても神聖な儀式でも眺めている心境になっていた。
泥棒の声を聞いて現実に戻ってきた私は持っていた桜の花をお祖母ちゃんの枕元に置いた。
桜の花、それはお祖母ちゃんの大好きな花だ。
「なんだか、お墓に供えてるみたい」
「あっ?」
気恥ずかしくて思わず出た言葉だったが、泥棒にすごい形相でこちらを睨まれた。
たしかに、質の悪い冗談だったと反省する。
「ありがとな。お前の協力がなければ実現できなかった」
お祖母ちゃんの横に置かれた桜を満足そうに眺め、泥棒がお礼を言った。
「別にいいですよ」
私もお祖母ちゃんの寝顔と桜を見ながら返事する。
お祖母ちゃんのロマンスに関われて不思議な気分だった。
すごくリアルな恋愛映画を鑑賞したような、謎の高揚感がある。
「じゃあ俺は行く」
「もう? まだ時間ありますよ」
「ないよ、早く行かなくちゃ。縁が合ったら近いうち会おうな」
「はあ、当分会いたくないですけど。朝、なにか伝えておきましょうか」
桜を見てもお祖母ちゃんが泥棒のことを思い出すとは限らないため、念のため尋ねておこうとしたら、すでに泥棒の姿はなかった。
「せっかちだなあ。ずっと会いたかったんだからもっとのんびりしていけばいいのに」
届かないとしりつつ、私は泥棒に向かって語り掛けていた。
「それで泥棒はどうなったの?」
翌日、朝のホームルーム前に別のクラスにいる京子のところへやってきて昨晩の報告をした。
「うん、成仏したみたい」
お祖母ちゃんの枕元に桜を置いたことで満足したのか、生前からの思いを晴らした泥棒はそのままあの世へ旅立ってしまった。
「今回はたまたま運よく解決したからよかったけど、いい加減気を付けた方がいいよ。その心霊体質」
「うん」
私が生まれてからずっと悩まされている厄介な体質、それは幽霊の姿が見えて話が出来てしまうということだ。
幼いころ、この妙な体質のせいでたくさんの厄介事に巻き込まれてきた。
人間と幽霊の見分けがつかないせいで、普通に幽霊に話しかけてしまうのだ。
今回だって泥棒が幽霊だと分かっていたらあんな声を上げなかった。
幽霊が見えていると気づかれないように、なんの反応もしなかっただろう。
「それでお祖母ちゃんは? 泥棒のこと話したの?」
「いや。枝折ったことだけ謝っといた」
朝、学校へ行く前お祖母ちゃんに電話した。
庭にある桜の枝を折ったのは私だと白状した。
お祖母ちゃんは桜のことが大好きなので怒られるかと思ったが、意外にも怒られなかった。
それどころか、電話口から聞こえるお祖母ちゃんの声は少し弾んでいるように聞こえた。
細かく説明を求められると厄介だなと思っていたので、お祖母ちゃんの機嫌が良いのは幸運だった。
「結局、泥棒は桜を運んでくれる協力者は欲しかったってことか」
「そうだね」
幽霊だった泥棒にとってお祖母ちゃんの部屋に忍び込むことは簡単だった。
でも、それでは思いを伝えられることができない。
だから協力者が必要だった。
自分の代わりに桜の花を枕元に置いてくれる協力者が。
今回たまたま孫である私がその役目に選ばれたのだ。
「吉野桜! チャイムはもうなっているぞ、自分の教室に戻れ!」
先生に名前を呼ばれびくっとした。
時計を見てみるとホームルームの開始時間はとっくに過ぎている。
桜、それはお祖母ちゃんがつけてくれた、私の名前だ。
「もう行くね、話聞いてくれてありがと京子」
「今度からもっと気を付けるんだよ。変な奴見かけても反応しないように」
「分かってるって、あっ」
廊下に出た瞬間、シルクハットをかぶって黒いマントに体を覆われたチョビ髭のおじさんがいたので、思わず私は声を上げた。